いつもこの日記を読んでくださっているみなさん、この度、アメブロに移行することに決めました。
今までこの日記を読んでくれてありがとうございます。
私の足跡として、この日記はこのまま残しておきます。
大切なお知らせと言いますか…かなり個人的なことですが、この日記の最後は、長くなりますが、この文章で終わらせたいと思います。
6月27日と7月8日に、
2つの大切な命が私のそばから離れていきました。
ひとつは、私のことを誰よりも応援し、歌手という夢を支え続けてくれた祖母が亡くなりました。
沖縄にあるタレント養成所。
通うのにはお金がかかり、当時の私の家事情はそれを払うことさえできずにいました。
しかし、祖母は自分の年金を「孫の夢のために」と出してくれていたそうです。
今の私が存在するのは、祖母のおかげです。
デビューしたときも、紅白歌合戦に出演したときも、LIVEをしたときも、テレビに出たときも、真っ先に祖母の声が聞きたくなりました。
「え~り~、がんばってるね~」
「ごはんはちゃんとたべてるね~?」
「つらいときは帰ってきてもいいんだよ~」
と。
いつもいつも優しい声で迎えてくれました。
沖縄に帰ると必ず祖母に会いに行き、そこで出される黒砂糖とお茶がおいしかった。
そこには新聞があって、見たいテレビにマルをつけているのが祖母の日課だった。
NHKみんなの手話も毎回楽しみにしてくれていた。
どんどん体も小さくなり、声もか細くなっていく祖母に、毎年毎年「また来るね!」と言って私は東京に帰り、戦う日々。
ずっと元気だと思っていた…。
ずっとそばにいると思っていた…。
けれど、「ずっと」という言葉はこの世には存在しない。そんなことはわかっていた。
祖母は突然他界しました。
おばあちゃん、見てるかな?
おばあちゃん、聞こえるかな?
わたし、これからも歌い続けていっていいかな?
天国でおじいちゃんと仲良く聞いといてね。
おばあちゃんが好きだったSPEEDのWHITE LOVE、また歌ってあげるね。
今までありがとう、おばあちゃん。
8月14日、無事に四十九日も終え、祖母は天国に逝きました。
そして、もうひとつの命。
それは、まだ幼い、たった2年の命。
愛犬ブビちゃんです。
この子は、小さいときから歩行ができず、足の運動を毎日行い、歩けたと喜んでいたら、散歩中は常にハイテンションで一苦労した女の子です。
もう一匹のワンコくるくる君より、寂しがりやで人肌を恋しがる、なつっこい子でした。
ピンクの枕が好きで、私が先に寝ているのにも関わらず、グイグイとせまって枕を取るほど好きみたいだった。
その子は私の不注意で命を落としました。
熱中症が原因です。
なぜ、わたしはあのとき、あの窓を閉めずに仕事に行ったのか。
仕事部屋が好きだったブビは、その部屋に閉じ込められて亡くなりました。
苦しかったよね…水、飲みたかったよね…
今でも思い出すと苦しい。
涙が止まらない。
後悔でいっぱい。
本当にごめんなさい。
本当にごめんなさい。
私のせいで命を落としてしまった。
取り返しのつかないことをしました。
本当にごめんなさい。ブビ。
どうすれば報われるのかわかりません。
忙しさの中に、
心を亡くしてはいけないことを
命と引き換えに教えてもらわなければいけなかったのか。
未熟者です。
家族を守れない人に平和とか愛だとか歌うなと自分自身に言いたい。
答えは見つからぬまま、時間に流され、仕事に流され、今日も生きている。
わたしは、いま、その狭間にいます。
まだまだ書ききれないほど、思い出はたくさんあります。
忘れちゃいけないことは、失った命はもう戻らないということ。そして、失った後に後悔をしては遅いということです。
この日記を読んだみなさん、賛否両論あるかと思います。私のことを嫌いになっても構いません。全て受け入れる覚悟で書いています。
命をどうか、どうか大切に。合掌。
今までこの日記を読んでくれてありがとうございます。
私の足跡として、この日記はこのまま残しておきます。
大切なお知らせと言いますか…かなり個人的なことですが、この日記の最後は、長くなりますが、この文章で終わらせたいと思います。
6月27日と7月8日に、
2つの大切な命が私のそばから離れていきました。
ひとつは、私のことを誰よりも応援し、歌手という夢を支え続けてくれた祖母が亡くなりました。
沖縄にあるタレント養成所。
通うのにはお金がかかり、当時の私の家事情はそれを払うことさえできずにいました。
しかし、祖母は自分の年金を「孫の夢のために」と出してくれていたそうです。
今の私が存在するのは、祖母のおかげです。
デビューしたときも、紅白歌合戦に出演したときも、LIVEをしたときも、テレビに出たときも、真っ先に祖母の声が聞きたくなりました。
「え~り~、がんばってるね~」
「ごはんはちゃんとたべてるね~?」
「つらいときは帰ってきてもいいんだよ~」
と。
いつもいつも優しい声で迎えてくれました。
沖縄に帰ると必ず祖母に会いに行き、そこで出される黒砂糖とお茶がおいしかった。
そこには新聞があって、見たいテレビにマルをつけているのが祖母の日課だった。
NHKみんなの手話も毎回楽しみにしてくれていた。
どんどん体も小さくなり、声もか細くなっていく祖母に、毎年毎年「また来るね!」と言って私は東京に帰り、戦う日々。
ずっと元気だと思っていた…。
ずっとそばにいると思っていた…。
けれど、「ずっと」という言葉はこの世には存在しない。そんなことはわかっていた。
祖母は突然他界しました。
おばあちゃん、見てるかな?
おばあちゃん、聞こえるかな?
わたし、これからも歌い続けていっていいかな?
天国でおじいちゃんと仲良く聞いといてね。
おばあちゃんが好きだったSPEEDのWHITE LOVE、また歌ってあげるね。
今までありがとう、おばあちゃん。
8月14日、無事に四十九日も終え、祖母は天国に逝きました。
そして、もうひとつの命。
それは、まだ幼い、たった2年の命。
愛犬ブビちゃんです。
この子は、小さいときから歩行ができず、足の運動を毎日行い、歩けたと喜んでいたら、散歩中は常にハイテンションで一苦労した女の子です。
もう一匹のワンコくるくる君より、寂しがりやで人肌を恋しがる、なつっこい子でした。
ピンクの枕が好きで、私が先に寝ているのにも関わらず、グイグイとせまって枕を取るほど好きみたいだった。
その子は私の不注意で命を落としました。
熱中症が原因です。
なぜ、わたしはあのとき、あの窓を閉めずに仕事に行ったのか。
仕事部屋が好きだったブビは、その部屋に閉じ込められて亡くなりました。
苦しかったよね…水、飲みたかったよね…
今でも思い出すと苦しい。
涙が止まらない。
後悔でいっぱい。
本当にごめんなさい。
本当にごめんなさい。
私のせいで命を落としてしまった。
取り返しのつかないことをしました。
本当にごめんなさい。ブビ。
どうすれば報われるのかわかりません。
忙しさの中に、
心を亡くしてはいけないことを
命と引き換えに教えてもらわなければいけなかったのか。
未熟者です。
家族を守れない人に平和とか愛だとか歌うなと自分自身に言いたい。
答えは見つからぬまま、時間に流され、仕事に流され、今日も生きている。
わたしは、いま、その狭間にいます。
まだまだ書ききれないほど、思い出はたくさんあります。
忘れちゃいけないことは、失った命はもう戻らないということ。そして、失った後に後悔をしては遅いということです。
この日記を読んだみなさん、賛否両論あるかと思います。私のことを嫌いになっても構いません。全て受け入れる覚悟で書いています。
命をどうか、どうか大切に。合掌。
